『生物多様性こうち戦略』誕生までの歴史

私は高知県四万十市の中山間地域でヤイロチョウを守る会という団体の代表理事を務めさせていただいております。

八色研修会やししとう大感謝祭などを通じてヤイロチョウと生物多様性こうち戦略の普及啓発事業を行っており、次世代に地球にある豊かな自然環境を引き継いでいくことを一つの目的として事業を進めております。

平成29年に研修を受けて生物多様性こうち戦略推進リーダーになったのですが、そもそもどういった流れで生物多様性こうち戦略が誕生したのか把握していなかったので経緯をリサーチしてみました。

歴史を振り返ってみましょう。

 

※本やネットの情報をもとに作成していますが、間違いがある可能性があります。

間違いがある場合はコメント欄で教えて頂ければうれしいです。

国際連合人間環境会議(ストックホルム会議)/1972年(昭和47年)

沖縄が日本に復帰し、山本リンダの「もうどうにもとまらない」という曲が町中に流れていた年に、地球環境問題に関する最初の国際会議が開かれました。

国際連合人間環境会議、通称・ストックホルム会議です。

北欧の酸性雨被害が1960年代後半に激化していたことをうけ、スウェーデンが国連に対して国際会議をストックホルムで開くよう提唱。

国連主催の会議開催が実現し、世界各地から113ヵ国の政府代表,国連機関関係者など約1300人が参加しました。

裏話としてベトナム戦争には言及しない事が暗黙の了解となっていたようですね。

この会議において「環境国際行動計画」が採択されました。

この採択結果を実施するため、国際連合の補助機関として環境問題を専門的に扱う国際連合環境計画 (UNEP) が設立。

本部はケニアのナイロビに置かれており、開発途上国(第三世界)に本部を置いた最初の国連機関です。

 

国連環境開発会議(地球サミット)/1992年(平成4年)

美少女戦士セーラームーンの放送が開始され、風船おじさん(風船をつけた風呂桶でアメリカへ行こうとしたおじさん)が消息不明になった時代のお話です。

1992年の6月にブラジルのリオ・デジャネイロで環境と開発をテーマにした国連環境開発会議(UNCED)通称・地球サミットは開催されました。

コンセプトは『環境に負荷の少ない持続可能な社会の実現』

ストックホルム会議の20周年記念的な位置づけもあったので、国連加盟国172カ国の政府代表が参加し、そのうち116カ国は国家元首が参加。

NGOの代表も2,400人が参加する一大イベントになったそうです。

 

地球サミットで何が決まったの?

持続可能な開発に向けた地球規模での新たなパートナーシップの構築を目的として環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言(リオ宣言がなされました。

そのリオ宣言の諸原則を現実化するための細かいルールとして存在するのがアジェンダ21です。

持続可能な開発を実現するための具体的な行動計画なので4部構成の40章からなり英文で500ページにも及びます。

また世界中の森林に関する問題について国際的に解決していくことを目標とした森林に関する原則声明(森林原則声明)が採択されました。

その他に気候変動枠組条約生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)の署名がスタートしました。

 

生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)/1993年(平成5年)

過去にラムサール条約やワシントン条約といった湿地の保全や絶滅危惧種の国際取引など特定の地域や種を保全する条約はありましたが、地球全体の環境を保全する条約はありませんでした。

「生物多様性の保全を図るためには包括的な枠組みが必要だ!」

ということで1987年に国際連合環境計画 (UNEP)が準備をはじめ、地球サミットにおいて開放。署名が開始され、翌年の1993年12月29日に発効されました。

日本は1992年に署名、1993年に受諾。2002年の3月の段階で182の国と地域が締約しています。

条約の目的

  1. 生物の多様性の保全
  2. 生物多様性の構成要素の持続可能な利用
  3. 遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分

参考: 「生物の多様性に関する条約」 要旨(外部リンク:外務省HP)

参考2:生物の多様性に関する条約(外部リンク:PDF)

 

環境基本法/1993年(平成5年)

環境基本法のベースには1967年に制定された「公害対策基本法」があります。

当時の環境問題といえば主に公害問題のことでした。

しかし1990年頃から地球温暖化、酸性雨、フロンによるオゾンの破壊、野生生物の減少など地球規模の環境問題が顕在化してきたのです。

地球サミットで当時の環境庁長官は「新しい地球環境時代にふさわしい法整備を政府部内で検討している」旨を国際会議の場で表明したそうです。

その後、地球サミットの基本的コンセプトである「環境に負荷の少ない持続可能な社会の実現」のための環境政策の仕組みを定めた環境基本法が制定されました。

 

生物多様性国家戦略/1995年(平成7年)

生物多様性条約の締約国にはやらないといけないことがたくさんあります。

その中で生物多様性こうち戦略と関係深いのが第6条です。

締約国はその状況と能力に応じて生物の多様性の保全に関する国家戦略をつくる必要があるのです。

保全及び持続可能な利用のための一般的な措置締約国は、その個々の状況及び能力に応じ、次のことを行う。

a 生物の多様性の保全及び持続可能な利用を目的とする国家的な戦略若しくは計画を作成し、又は当該目的のため、既存の戦略若しくは計画を調整し、

特にこの条約に規定する措置で当該締約国に関連するものを考慮したものとなるようにすること。

b 生物の多様性の保全及び持続可能な利用について、可能な限り、かつ、適当な場合には、関連のある部門別の又は部門にまたがる計画及び政策にこれを組み入れること。

 

生物多様性基本法/2008年(平成20年)

地球サミットから時がたち、iPhone 3Gが販売され崖の上のポニョがヒットしていた時代。

日本で初めて生物多様性の保全を目的とした法律が誕生しました。

生物多様性の保全に関する施策を環境基本法の基本理念にのっとって定めた生物多様性基本法です。

環境基本法ができた1993年の段階では「環境基本法、鳥獣保護法、種の保存法 、外来生物法とか今ある法律を組み合わせたら生物多様性条約をクリアできるだろう。」

という事だったみたいですが法律の保護対象から漏れている動植物が多いことなどから議員立法により制定、公布されました。

 

生物多様性国家戦略の変遷

日本の場合は1995年に最初の「生物多様性国家戦略」を”地球環境保全に関する関係閣僚会議”が決定しました。

最初の生物多様性国家戦略は国の基本的な計画であり、法律に基づくものではありませんでした。

目標を達成する道筋の明確さや施策提案の具体性が十分ではないこと。

現状分析として社会経済的な視点が欠けており、生物相や生態系の分析も不足していること。

そういった課題があったのです。その後「新・生物多様性国家戦略」「第3次生物多様性国家戦略」と改正され、

生物多様性基本法が施行されたことにより生物多様性国家戦略の策定が国の義務として規定され、施策や目標など着実な実行が求められるようになりました。

それを受けて「第3次生物多様性国家戦略」をアップデートしたものが「生物多様性国家戦略2010」です。

2020年12月現在では「生物多様性国家戦略2012-2020」が現行の国家的戦略となっています。

生物多様性地域戦略

生物多様性基本法は国だけでなく地方公共団体、事業者、国民・民間団体の責務なども規定されています。

都道府県および市町村は、単独又は共同して生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならないわけですね。

・生物多様性の状況は地域固有であり、その保全と持続可能な利用に向けた取組は、地域の実情に合わせることが望まれます。
・ 生物多様性地域戦略は、地域の様々な課題解決に向けた効果が期待されます。
・ 生物多様性地域戦略は、生物多様性国家戦略を基本とします。

引用:生物多様性地域戦略策定の手引き(PDF)

意義と効果

  • 地域の固有財産である、生物多様性を守り、活用する。
  • 地域で課題になっている、人と自然に関わる様々な課題に対応する。
  • 地域の活性化をもたらし、新たな姿を創造する。
  • 地域を構成する様々な主体のネットワークが形成される。
  • 地域だけではなく、日本や世界という広域スケールで、生物多様性に寄与できる。

生物多様性こうち戦略/2013年(平成25年)

アベノミクスやあまちゃんブームの年。

生物多様性地域戦略の高知県バージョンである生物多様性こうち戦略が策定されました。

基本理念「ふるさとの いのちをつなぐ~豊かな生きものの恵みを受けて 美味しく 楽しく ずっと暮らそう高知県~」

生物多様性こうち戦略推進リーダーについて

高知県では、生物多様性の保全や普及、担い手育成、各主体間の連携促進や地域資源の発掘・活用に関して先導的な人材として「生物多様性こうち戦略推進リーダー」を登録しています。

詳細はコチラ(高知県HP)

まとめ

平成29年に研修をうけて生物多様性こうち戦略推進リーダーになったのにも関わず、これといって何もしてこなかったなぁ。

と思ったので生物多様性こうち戦略が誕生するまでの歴史を紐解いてみました。

ぼんやりとしか把握していなかった地球サミットの理解が深まったので、私としては楽しかったです。

今回は誕生までの歴史ですが、気力があれば「生物多様性こうち戦略」そのものについて、学びたいと思います。