①なんで田舎なら上手くいくと思ったの?地域おこしで一人相撲とってるヨソモノが村人から陰で〇〇〇〇扱いされてるのマジwww

はじめに

twitterを眺めていたら地域おこし協力隊の方の移住失敗に関する記事がトレンドになっていました。
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小学校教員を退職して、地域おこし協力隊として限界集落に家族で移住された方が、田舎のいやらしさに精神をメタメタにされた内容の記事です。
「地域おこし協力隊は町の奴隷」
「限界集落というものを舐めてはいけません」
「地域おこし協力隊に応募したのが失敗」
「独りよがりな独り相撲をとってただけなんじゃないの?」
「都市部のような付かず離れずの関係は都合がよすぎる」
などなど、様々な意見がtwitter上で呟かれています。
私は、高知県四万十市に生まれました。
人口260人くらいのちいさな集落。
誰かが大きなテレビを買えばお婆ちゃんが噂をするような土地。
高校卒業後は「糞田舎くそくらえ!」と叫んで大阪市内で数年暮らしました。
しかし人があまりにも多い都市部での暮らしに馴染めずUターン。
その後は地域に深くコミットをすることを目指し、現在は村の盆踊り大会の実行委員長や、地区の班長、
秋祭りの花取り踊りでは花形の役を任されたり、狛犬のしめ縄つくりをお願いされるくらいにはなりました。
早いものでUターンしてきて10年くらいになりますか。
高校生の頃には見えなかったもの、見たくなかったもの。
岡林信康が歌う”田舎の蜘蛛の巣のようないやらしさ”をしみじみと痛感する年齢にもなってきました。
田舎のいやらしさは蜘蛛の巣のようで
おせっかいのべたべた 息がつまりそう
だからおいらは町に出たんだ
義理と人情のアリ地獄 おいらいちぬけた ー岡林信康『おいら、いちぬけた。」
田舎だからチョロいという考えも、もはやありません。
Uターンしてすぐはそういった気持ちもありましたが、村の民草たちは知識や学識は薄いものの、昔からの知恵がありますので侮ってはならないのです。
私ができること、
それは観察すること。
それくらいです。
移住者の方々が、その土地で何年暮らしたとしても陰ではヨソモノ扱いされてしまう。
そんなことが起こらないためには「民草の頭の中はどうなっているのか?」
それを考えることでお互いにとって面白くないミスマッチを防ぐことができるのではないでしょうか。
帝王学的なアプローチを繰り返すことで目覚めることができる民草という私(わたくし)
恥ずかしながら 照れながらそっと 美しく滅びゆく 村の自然をみていたい
極左的な かんがえ
そのようなクオリアが以下の文章にはあります。

民草の道徳感について

「田舎の人たちの考え方は古い」

という言葉をよく耳にします。

私も古いなぁと感じることがあります。

でも「田舎の人たちの考え方ってなによ?」

と聞かれると分かりやすい形で言葉にすることはできません。

ただ地域にコミットして暮らす中で「古いのは考え方なのではなく道徳感なのでは?」

と思うことがあるのです。

 

まず私が暮らしている村の仕組みを簡単に、知っている限りで説明をします。

私の村の仕組み

私の村の長は「区長」と呼ばれています。

昔なら”村長さん”。

さらに昔なら”庄屋さん”と呼ばれていた存在じゃないかと思っています。

庄屋さんともなると徴税権があるのでたいしたものです。

つまりは村の自治一般を任される、村民の代表ですね。

 

この区長さんは毎年1月に開催される地区総会で住民の選挙によって選出されるので、

選挙法に縛られない政治家とも呼べるのではないでしょうか。

「選挙法に縛られない」という意味は、立候補者も対立候補もいないのに選挙が行われ、多数決で否が応にも決められるからです。

 

 

私の村では数の暴力が横行しています。

大病をしないと逃れられない空気感が出来上がっているんですねぇ。

わはは。

 

ここ数年でおこった地区総会での大きな動きといえば「はっきりNO!と言う大切さ」が身に染みたことでしょうか。

私個人の身に染みただけですが。

というのは、昨年2022年の地区総会でながーーーーーーーーーーーーい間、監査をされていた方がハッキリ NO!と言いました。

「留任は絶対に、イヤ。」と仰いました。

たいていはどうであれ、その後に行われる簡易的な投票で留任と相成るのですが、その年は違いました。

言葉の強さが重みを孕んだのでしょう。無事に隠退することができたのです。

 

そのスピリットは引き継がれ、2023年の地区総会では、これまたながーーーーーーーーーーーーい間、会計をされていた方が投票前に「NO!」と仰いました。

その後の投票はどうなったのか?

結果としては留任です。

なんということでしょう。

これではいじめです。

しかし村には義理もあれば人情だって、きちんとあるのです。

それが蟻地獄になっているだけなのです。

 

時期的に世代交代の頃合いでもあったので、2番人気の方が立候補もしていないのに当選しました。

おめでとうございます!

 

本当にお気の毒だと思います。

責任を押し付けられたと思います。

立候補していないのに、変だと感じます。

ただ、面白いなぁとも思うんですねぇ・・・。

 

そうです、面白いのです。

正確には「おもろい」ですが。

 

これは現場にいないと分からないことなのですが、

なんというのか、人柄とか人徳とかってあるじゃないですか。

立候補もしていないのに選ばれてイヤァな顔をしているのを見ると、

水曜どうでしょうを見て笑うような”可笑しみ”と同じものを感じてしまうのです。

 

「可笑しみの共有」は、地域で暮らしていく上では大切なことなのかなと思います。

 

その可笑しみの裏側には必ず自分にバトンが回ってくる恐れと憂いもあるでしょうね。

土地に縛られ生き続ける以外の選択肢を持たない民草の憂いなくして、どうして可笑しみがうまれましょうか。

 

さぁ、話はここで終わらない。

ここからさらに大きなウェーブが起こりました。

 

状況を端的に述べるとこうです。

まず、区長は留任。

副区長は大病をしたので無事に隠退。私の父親が当選しました。

僕のパパは副区長だぞ!

会計はNOと言える日本人だったので無事に隠退。新人が就任。神社会計と兼任です。

残る監査役は2名。

副区長に選ばれたパパが監査役をしていたので、空席になった監査役を巡って投票がはじまります。

 

ん?

いくら民主主義の寺子屋とはいえ、立候補者がいない選挙は小学校の生徒会選挙以下ですよ。

とは言えず、というか早く家に帰りたいので新班長の責務として投票用紙を配ろうとしていたら「ハイ!」という声が上がりました。

(寒いし早く帰りたいなあ・・・)という鬱屈した空気と形式ばった静寂を打ち破る鶴の一声です。しかも後ろの方から。

たいてい集会所の後ろのスペースには煙草を吸う人たちと若人が集まる空間があります。

 

いままさに、若人から立候補の声があがったのです。

立候補する声があがるとどうなるのか。

みんな早くお家に帰れます。

 

ということでスムーズに監査役が決まりました。

流れで立候補した方の隣にいた人も監査役になったのですから。

もちろん立候補でですよ!

 

2名同時に立候補で監査役が決定。

これは驚きというか気持ちの良いことで、集会所前方に席を構える執行部(議長・区長・副区長・書記)からも、お喜びの声があがっていました。

監査役に立候補した方は私の先輩にあたる方なので、立候補の伝統は受け継がなければなりません。

こういった些細でささやかな文化が、地区としての強み、異色さに繋がるのではないかと考えるからです。

 

なので来年は区長に立候補してみようと思います。

いろいろな選挙(市議会議員選・市長選・衆議院選)のお手伝いをしてきた限り「選挙遊びをするなら公職選挙法がない方が絶対に楽しい!」と断言できます。

「その縛りが気持ちいいんじゃないか」と言われたらそれまでですが、民主主義の寺子屋ですからやりたいことはやらなくちゃ!

 

つづく。

次回予告

日本人の道徳といえば武士道だよね!

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